トップページへ
図書館案内
利用方法
蔵書検索
開館日カレンダー
行事案内
わかたけ号
新刊情報
ランキング
図書館だより

 

  市立竹原書院図書館
  〒725-0026   
  広島県竹原市中央
  4丁目7番11号  
  TEL 0846-22-0778  
  FAX 0846-22-1072

 

 

課題本

『スクラップ・アンド・ビルド

羽田 圭介/著 文芸春秋

読書会を終えて

吉川 五百枝

 文学作品だとか、芥川賞受賞作だとかいわれても特別に構える必要はなく、先ずは、ユーモアもあって筋も読みやすかったと話は始まった。しかし、さらっと読めても、異質感が残るのは何だろうという疑問を持ってしまった。
 この作品には、若い世代として28歳の健斗、つきあっている亜美、健斗の友人大輔が居り、その上の世代として健斗の母、さらにその上の世代として87歳の祖父が登場する。健斗の父は彼が小2の時なくなっているし、祖母もすでにいない。
 祖父に対する健斗の接し方を考えるのには、父と祖母が欠けている設定になっていることが大きい。この二人が居て一つの家族である場合は、各人の絡みは複雑になり、社会が語られる事になってこの紙数では終わらないだろう。
 つまり、この作品は、老世代の福祉に問題意識をもつものの、社会や家族のあり方を考察する社会科学(図書分類で言えば300番台)の作品ではなく、900番台の文学作品であることを示している。
 老人を文字でどう表現するかは、述べる人とその老人との距離によって変わる。
 健斗は、祖父に対して、決して冷たい孫ではない。それどころか、自分は 祖父に対して自己中心的ではなかったかと反省さえしている。だが、〈弱者へ手をさしのべてやっている満足に甘んずるばかりで、当の弱者の声など全然聞いていなかった〉という反省の中に、祖父を「弱者」とみている目がある。
〈苦痛や恐怖心さえない穏やかな死。究極の自発的尊厳死を追い求める老人の手助け〉をする老人の理解者である自分。
〈自分が楽をしたいからなんでも手伝うのと、尊厳死をアシストするために葛藤を押し殺して手伝うのは全然違う〉という自分の葛藤の中身は、強者対弱者の意識そのものだ。
 祖父の “尊厳死”という計画書が存在するかのような余裕すら感じる。
 かまってほしがりやの祖父が示す際限ない甘えに対して、過剰な足し算の介護をして、祖父の“念願”通り、すべてを衰えさせて早く死なせてあげようという考えに彼はたどりついた。それが “尊厳死”だと思ったようだ。そうなると、〈老人福祉的なシステムは、老人をただ生かすだけ〉の仕組みということだから健斗の怒りの対象となる。早く衰えて死に至るように協力するのがやさしさだと思っている「やさしい」健斗を描く。
〈姉たちによる何も考えていない優しさと形としては変わらないが、行動理念が違う.〉苦痛なき死という欲求にそうべく手をさしのべる健斗は、真剣である。祖父の“尊厳死”へのモチベーションを下げてはならないのだ。
 健斗の「やさしさ」は続く。
〈苦しみに耐え抜いた先にも死しか待っていないのだから早く死にたいという切なる願いを想像し理解する〉「やさしい」健斗。
〈もっと生きて苦しめという体制派と徹底的に闘うという〉決心をする「やさしい」健斗。
 しかし、死への計画書があるわけがない。祖父の願望が、健斗の考えた“尊厳死”ではなかったという事実が、物語の終わりに近いほんの2行で描かれる。
 お風呂で溺死しかけた祖父を引っ張り上げた健斗に、祖父は
〈「ありがとう。健斗が助けてくれた」
「死ぬとこだった」〉と言うのだ。
 どうあっても生きたいという生ある者の“尊厳”なのではないかと読んだ。
〈苦しみながらもっと長生きさせられる地獄を味わうだろう。〉健斗は祖父の先行きをそう見るが、行き先に〈地獄を見る〉のは、老と限ったことではなくどこででも誰にでもおきることで、それが本当に地獄なのかどうかは他人の評価することとは思えない。
 祖父を回転軸として、健斗という青年(28歳でも青年の匂いがする)が、人は老いていくという現実と、迎えなければならない死も容易くはないと知るメリーゴーランドに乗っている姿を想像した。高くなったり低くなったりして祖父を中心に回っている内に、健斗自身が、人が生きていくのは計算式に依っているのではなく、どうあろうと自分の中に蓄えた力で、ただ闘っていくしかないのだと思うようになった姿を、最後の1ページに書いて物語は終わる。

 この『スクラップ・アンド・ビルド』というタイトルに何を思うのか。
 たまたま少し前の夜 、テレビをつけたら『シン・ゴジラ』の最終場面をしていた。
 林立するビルをなぎ倒したゴジラの最期の姿が映っていた。その時、画面から男性の声で「スクラップ・アンド・ビルドでこの国はたちなおってきた」というセリフが聞こえた。偶然聞くことになってびっくりしたのだが、これから生きていく人々への期待をこめたよびかけとして伝わってきた。
「スクラップ・アンド・ビルド」というのは、日常では経済面での話の中で聞く。だいたい無機質な使われ方だと思っているから、人が老いるという有機的な内容にこの題がつけられていることも、もともと気になっていた。混ざり合わないものを感じていたのだ。
 この粗いミキシングがこの作品の象徴的な色合いではないのかと思い始めた。
「シン ゴジラ」のセリフは、日本語で言えば「やりなおす」というニュアンスに受け取られる。そういえば健斗が入社試験に落ちたとき、担当者から、「28歳だ。まだまだやりなおせる」と励まされる場面があった。思わずうなずきたくなる言葉だが、私は、人生はやりなおすような質のものではないと思っているので、オヤッと取り出した破片だ。
 間もなく8月6日が来る。健斗の祖父にも戦時体験があると書かれているが、私の出会う老いた人は、72年経とうとも、あの日々の両親やおじさんおばさんのことを涙を流して話される。人は過去のやりなおしができるのか。若くても年とっていても、やって来る新しい一日一日を夢中で生きているだけのお互いではないか。人の生にスクラップ・アンド・ビルドは無いと思う。
 みんなでワイワイ語り合ったが、作家本人は合理的に片付けて、もう別のところを見ているかもしれない。 

(講師)


三行感想

〜 会を閉じて忘れぬうちに 〜


 現代作家の本領発揮、さらっと読めますよ。文章も難解なものはなく…でも奥は深いですよ、流石芥川賞。(K)


 主人公はおじいちゃんの介護をしている。弱者の老人が早く死ねばいいと思っている。社会問題として読んだがよい家族になれたらいいと思う。(TK)


 最後のページの「…どちらにふりきることもできない辛い状況のなかでも、闘い続けるしかないのだ。」が『スクラップ・アンド・ビルド』の結論であろう。作者の羽田氏の中にある現代の若者像を見たように思えます。(E子)


 健斗とじいちゃんと娘である母親との関係。積極的介護で死に致らしめ、消極的介護で長生きする為の体力をつけさせる。という事は通常言われている優しさ親切と真反対で面白い発見でした。(N2)


 芥川賞発表の時にすぐ読んだ時には、サラッと読んでしまったが読書会で読むうちまったく感想が変わった。『スクラップ・アンド・ビルド』とは『一日一日戦い続ける』ということだと教えて頂いた。健斗は、死を待つだけのように見えるおじいちゃんとの関わりの中で、少なくとも今の自分には闘い続ける力が備わっているということを教えられた(Y)


 要介護の祖父と孫との生と死に対する毎日の闘いが描かれた作品。その中に母″という存在も加わり母と祖父の会話は自立″を促すものだと思う。一見ひどいものだが内容としては、よくあることだし、祖父にとっては、何でもやってあげる介護は本人の生きようとする力をダメにすることもある。しかし、私は嫁という立場では自立″という目だけでは介護できないことも多い。日々、介護していきながら介護の中で自分に問い返していくチャンスを与えられ、結局は自分を変えていってくれていることに気付かされた。この本は自分の心の中を見られているという思いをもつ本でもあった。(R子)


 表面的な生きることに否定的な祖父を現在二十八歳の無職の孫健斗との毎日の生活のやりとりの中、段々と2人の内に変化の兆しが見られるようになるのだが、しかし最後は先生の健斗像を聞いて、思いもしなかった彼の姿に深く考えを揺らした。(YO)


 スクラップ・アンド・ビルドの題名をどうしても理解できませんでしたが、AIのような計画的文章構成だったかもと。頭の中の混乱が整理できませんでした。文学の分類学も考えませんでした。この会は深いです。(M)


 

『スクラップ・アンド・ビルド』を読んで

  7ヶ月前に5年勤めた会社を辞めた、28歳の健斗。
 「じいちゃんなんか、早う死んだらよか」。そう繰り返し言う87歳の祖父(じいちゃん)と、母親と同居している。孫の健斗はその願いを叶えるべく、じいちゃんが苦しまず、穏やかに死ねるよう、徐々に体が弱っていくように過剰な介護をしていく。健斗は思う。「八十七年も生きてきた祖父の終末期の切実な挑戦に協力できるのは自分くらいしかないだろう」と。
 弱く、死にたがっているじいちゃん。健斗はそう思っていた。
 しかし読み進むと、このじいちゃんはとてもしたたかな人物だという影がちらほらと垣間見えてくる。確かに体は弱っているけれども、戦争を越えて生き残り、5人の子供を養い、老いて子供たちの間をたらい回しされて暮らしていても、ほとんど呆けることなく、生き抜いているのだ。相手や状況によってやり方を使い分けるという、生き抜く知恵も力も持っている。そうでなければ、87歳までひょうひょうと生きていることはないだろう。
 そして実は健斗の方が弱いのだということが徐々にわかってくる。会社を辞めたが、その後何社受けても採用されず、お金もない。まるで社会に必要とされていない、無力な自分を感じている。社会的弱者になろうとしている。
 よぼよぼのじいちゃんに勝てるのは、実は若さだけなのだ。若いというだけで、強さはある。一瞬のみなぎるパワーは強い。しかし若さ故の強さは、実は脆さも危うさも内包している。
 その脆さを、じいちゃんはわかっていた。
「じいちゃんが死んだらどげんするとね」
 そう言われて、健斗は初めて気がつく。肉体的に弱々しい、社会に必要とされていない、じいちゃんという存在が、今の自分を支えていたのだと。

 健斗のひたむきさは、真剣故に滑稽にも感じられる。なかなか安楽死の流れに乗ってこないじいちゃんに対して、「苦痛のない死を、自分の意志でつかみ取ってくれ。自らの無謀な夢をかなえるための正しい資質が、祖父には必ずある」などと願ったり。健斗はいわゆるどこにでもいる普通の人だと思う。ちょっと前に仕事を辞めた、28歳の無職の男。実家暮らしで就職活動中。でもその普通さが、読んでいると何だか怖いように思える。思いやりのある健斗はじいちゃんを理解しているつもりだったが、全く理解していなかった。俺だけはわかっているという傲慢さのもと、自分よがりの考えとは全く思わず、疑うこともない。(最後の方では気がついたが)。
 そして、これは健斗に限ったことではないと思う。
 一見常識的な、相手のことを思って発言したようなその考え方が、一歩間違えれば、一歩進んでしまったら、それは凶器になりえるのだということの、無自覚さ。この物語の先に、何だか私は、やまゆり園の事件が透けて見える気がして、ゾッとしてしまう。
 相手のことなんてわからない、だから考えないと思考停止するのではなく。わかってないかもしれないと思える、心のゆとりのようなもの、常に疑うことのできる余白を自分の中に持つこと。
 わかっていないかもしれないという、謙虚さを忘れないこと。
 読了後、そんなことを再度自分に言い聞かせた。(C)


 スクラップ・アンド・ビルド 古くなった設備を廃棄し、新しい設備を設けること。行政機構を新設する場合、同等の既存の機構を廃止し、機構全体の膨張を抑制すること。「一方式」
 若い作家が、今社会の人達が関心を持っている高齢社会の医療福祉サービス法律保険の事を折り込み、孫の眼を通して人間の生き方を老後の事を考えさせられる物語です。若い健斗の生活、彼女亜美との関係、会えばラブホテル、あれには閉口ですが、今頃の若者は普通の行動なのでしょうか。
 患者を薬漬けにして弱らせる病院へとか中年女性看護師に猫なで声で呼ばれとか、入院をさせようにも、介護関係の診察報酬が下げられた今は簡単に入院などできないし、できてもすぐ家に帰される。薬漬けのねたきりで心身をゆっくり衰弱させた末の死をプロに頼むこともできないのだ。後期高齢者の介護生活に焦点を絞った場合、おそらく嫁姑間より実の親子の方がよほど険悪な仲になるのではないか。手をさしのべず根気強く見守る介護は手をさしのべる介護よりよほど消耗する。子供を育てるのに似てる根気のいることです。
  あらゆることが不安だが少なくとも今の自分には白い地獄の中で闘い続ける力が備わっている。先人がそれを教えてくれた。
  健斗は祖父の介護を通して強い心をもらった。(M子)


課題本は『スクラップ・アンド・ビルド』。
「スクラップ・アンド・ビルド」は工業や行政の業界で、効率化を求めて再構築する用語。それを小説で使うなんてと興味深く読み始めました。

◆作品の魅力は
 登場人物の設定がきっちり練られ、「あるある!」とリアル感満載なところです。途中で引っかかることなく、本を閉じた後「あれ?」と考えさせられました。スクラップ&ビルドしたのは何だろうと。作品中「どちらに振り切ることもできない辛い状況の中でも、闘い続けるしかない」と健斗は先人(祖父)から教えてもらったとあります。しかし作者は、若者であろうと年齢を重ねた老人であろうと死ぬまでどうにかして生き続けなければならないのではないかと訴えたかったのではないかと考えます。以前篠田節子さんの『長女たち』を読んだ際、吉川先生が「生きるのも死ぬのもままならず悪戦苦闘する」と表現された言葉を思い出しました。

◆小説の中で「スクラップ・アンド・ビルド」したものは
大きいのは「健斗と祖父の関係」ではないかと考えます。祖父は「早う死にたか」と事あるごとに言葉にします。でも深層では生への執着心を抱いています。そんな祖父を健斗は懐疑的な嫌悪感を持ちつつも、医療制度や介護システムの発達によって、「生かされている」祖父に対して悲哀を感じ、「自然で尊厳ある死」を迎えさせようと様々な見当違いなことをします。その姿は滑稽でもあります。しかし風呂場で溺れる出来事で二人は、自省や相手への想いを増し、茨城へと出発する健斗と東京に残る祖父の会話もこれまでと違ったものになっています。

◆吉川先生が尋ねられました。「あなたにとってのスクラップ・アンド・ビルドは?」
私にとっての「スクラップ・アンド・ビルド」は「一日一日 を悪戦苦闘しながら生き続けること(周りの人とかかわりなが ら自分の想いも大切にして)」だと考えます。でも、“生きる” ということはビルドの面が大きく、結果としてスクラップして いることも多々あり、無礼を重ねているなと自省している次第 です。 (S)


「スクラップ・アンド・ビルド」カタカナ語の辞典によりますと、企業の近代的な経営方針の1つ、老朽施設を廃して 能率的な施設を積極的に作っていくこと。この本とのつながりがよくわからなかったです。「芥川賞」受賞作品 高齢者の者(70才以上)にとっては、この青年のこの生き方について理解できないこともあります。老人介護については自分の事として、今後の自分の生き方について考えさせられました。(M・Y)


 主人公健斗は、おじいちゃんの面倒をみながら早く死ねばいいとか 早く死ぬのを手伝ってあげていようとしている。最近の山ゆり園の事件を思い出す。弱者や役に立たない者は死ぬ方がいいという。 しかし私は自分は死にたくないのなら人に死ねばいいという考えは道理に反していると思う。しかしここであえて今の時代の生活や社会制度をあらわすためにオーバーに書いてあるようだ。自分も年をとるのだから、人ごとのように死ねばいいとか、お世話になった人をくそじじいというようなののしり方をするのは私にはできない。でも忙しさの中で世話をしてあげるのは葛藤がある。みんな闘っていると感じる小説でした。(TK)



→ 読書会のページに戻る
▲ページのはじめに戻る ■トップページへ戻る

Copyright (c) 2003 takeharashoin city library. all rights reserved.