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  市立竹原書院図書館
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  広島県竹原市中央
  4丁目7番11号  
  TEL 0846-22-0778  
  FAX 0846-22-1072

 

 

課題本

『オーロラを求めて

星野 道夫/著   全国学校図書館協議会


読書会を終えて

吉川 五百枝

 今回は、例会日9月27日が星野道夫の誕生日にあたった。たいしたことではないが、誕生日や命日と例会が重なると、開始時から何となく興奮度が上がる。
 この度のテキストは、全国学校図書館協議会が発行する集団読書テキストなので、全体は39ページからなる小型の本である。最終ページに、『アラスカ光と風』に所収されている作品を原拠にしているという説明がついている。
 写真を重要な表現手段とする星野道夫の本だが、このテキストには、写真はカラー印刷の「アラスカ山脈とオーロラ」という一枚だけが載せられている。
 身近に、オーロラを求めてカナダに撮影旅行をした友人が居る。カメラが凍ってシャッターがおりない経験をしたそうだが、星野道夫のこの写真は、冬のアラスカ、しかもマッキンレー(現在はデナリ)山脈のまっただ中に1ヶ月いて、巡り合わせの良いたった1日に撮ったものだと書かれている。
 数年前、東京に行ったとき「星野道夫展」が開催されていたので行った。大きなオーロラの写真数枚で一つの空間が作られていた。オーロラは、あこがれの天体状況だ。しばらく浸っていた。会場は風も無く、気温も空調で快適だし、実際のオーロラの見える状況とは、かけ離れた状態だったのだが。
 載せられた1枚の写真が生まれるまでの経緯を、40ページ足らずの紙数で追体験しようとするのには無理があるが、星野道夫の作品は、写真集やエッセイなど数多いから、他の本へ導かれる楽しさがある。
 このテキストの中に〈自然は人間などが介入せず、放っておくほうがいいに決まっている。しかし、それは、そこに人間がいない場合の話だ。ムースの数が減っているのならば、マネージメントの鉾先をどうして人間にも向けてこないのだろうか〉という文章がある。ムースを餌食にしているオオカミの数を減らそうとするアラスカ野生生物局のプロジェクトについての話だが、この文の後は、すぐに丸太小屋の住み心地の話が続いていて、解説めいた文章はない。
 アラスカにすむ人たちには、狩猟は生活の一部になっていて、ムースやカリブーの肉は食生活の一角を占めているそうだ。そういう筆者自身も、大好きなムースのシチューにしたつづみをうちながら話しているし、ムースの干し肉は、撮影行の大事な食料となっている。自分もムースを食べながら、ムースの数のマネージメントの話をしている星野道夫は、後年、『ナヌークの贈りもの』(小学館1996年1月)という写真絵本にこう書いている。
 ナヌークは、氷の世界の王者。昔から、人びとは氷の世界の王者シロクマをそう呼んだ。そして、主人公の少年は、ナヌークの声を聞く。
〈 「われわれは、みな、大地の一部。おまえがいのちのために祈ったとき、おまえはナヌークになり、ナヌークは人間になる。いつの日か、わたしたちは、氷の世界で出会うだろう。そのとき、おまえがいのちを落としても、わたしがいのちを落としても、どちらでもよいのだ」 〉
 この言葉が体現されたように、星野道夫は1996年8月、ロシアのカムチャツカ半島の湖畔にはったテントで就寝中にヒグマに襲われて今生の生を終わった。1982年に念願のオーロラ撮影を実行した今回のテキストの記述から14年後のことだ。彼の死が報道されたとき、その半年前に出版されたこの『ナヌークの贈りもの』が、彼の遺書だと感じられた。
〈おまえがいのちを落としても、わたしがいのちを落としても、どちらでもよいのだ〉とは、強い生命維持本能を持つ私にとっては、息を呑む言葉だ。彼は護身用の銃を携行しなかったという。私は手という強力な武器をもって本能に従う。この夏だけでも、どれだけの蚊やムカデとの共存を我が手で拒んだことか。私に見える所に来ないでおくれ、と願うしかなかった。しかし、考えてみれば、蚊もムカデも私も〈われわれは、みな、大地の一部。〉なのだ。いのちは繋がっている。間もなく蚊もムカデも私も、〈われわれ〉になるだろう。生命維持の本能に従うのは、せいぜい100年のこと。〈われわれ〉のいのちの営みは量り知れない。
 星野道夫は、43歳までしか生きられなかったが、彼の思いは、たくさんの写真や文字として残り、受け継がれている。その中に分け入る入り口として、このテキストが子どもたちに向けて編まれたのだろう。
 福音館から出ている『たくさんのふしぎ』のシリーズの中にも、作品が数冊あるし、それをハードカバーの絵本にしたものも、会場の図書館から提供された。また、文中で、筆者がアラスカのキャンプで読んだと紹介されている『エンデュアランス号漂流記』(彼が読んだのは英語版)も作者や表題や訳や大きさの違う3冊が並んだ。筆者が妻になる女性に良い本だと推薦した『すばらしいとき』(マックロスキー 福音館 1980)も、手紙の写真を載せた雑誌と共に紹介された。
 自然の美しさと厳しさ。自然への恐怖が畏怖に変わっていくことや、朽ちはてたトーテムポール。〈食べる分だけで良い〉という文章など、40ページの背後にたくさんの思想や歴史を語る本がつらなっていることが感じられた。
 本は、手にした1冊だけがあるわけではなく、地下茎のように世界を広げている。読書会は、その一端を掘り出す楽しみに満ちている。

(講師)


三行感想

〜 会を閉じて忘れぬうちに 〜


課題本よりも星野さんのヒグマ事故死が頭から離れなかった。人間としての常識から出られない私。しかし、星野さんの心には、死の前10年から動物が命を落としても、私が命を落としても、どちらでもよいのだ。厳しい自然の前にはコントロールが入ってはいけない。自然に身を置くことなのだと思って怖くなりました。(M)


自然はきびしい。命も尊い。動物の写真でも特に親子をとっている星野さん。現地の人の目線で考えていこうとしている星野さんのやさしさを感じる。くまを撮ってくまに殺されたことをしみじみ残念に思う。共存だけでなく共死も考えてしまう。   (TK)


オーロラに魅せられた一人冒険家、写真家の話です。とても薄く軽い本ですが、活字の奥に秘められたものは自然との共存、自然の中に自分の身を置いていることの意義、命の尊厳、果てしない課題が含まれています。是非に読んでみてください。関連本も多くあります。 (K)


「いのち」と向き合っていた星野道夫ではなかったか。短い文章から、「いのち」に向き合う姿勢を読みとくために今日も多くの本に出会うことができた。自然と共存し、自然の中に身を置き続けた星野道夫。彼の著書は教科書の中にとりあげられている。おそらく理解できないことが多い。10年後に気がついてもよいので心の中にとどめておきたい「ものがたり」と思う。  (E子)


ムースが減っているのは狼のせいだと考え、狼を殺してしまう人間。なぜ人間に鉾先が向かわないのかと怒りを見せる星野さん。「お前(動物)が生命を落としても、私が生命を落としても構わないのだ」と言わしめる程の徹底した自然との共存という星野さんの意識。読書会で沢山の絵本や写真集、小説を紹介され、是非一冊ずつ読んで星野さんの深い思いをもっと知りたいと思った。 (Y)


自然のきびしさ、美しすぎる自然、自然の恐怖など、さまざまな言葉が“自然”にはたとえられる。星野さんの写真や文からは、大げさすぎない、それこそ自然体で描写される世界があり、それが読み手に深い感動やイメージの広がり、ひいては“生きる”ということを考えさせられた本でした。 (R子)


オーロラと言えば幻想、ロマンを想い抱かせる自然現象だと思う。アラスカの厳しい自然の中に一人で撮影に成功するまでの紀行ものである。決して物見遊山では出来ない色々な困難を迎えうち乍ら、現地の人たちの親切や自らの強い信念で目標に立ち向かう姿勢に憧れを持つ。アラスカのデナリ山を自分の目で見たいものだ。(YA)


 アラスカの自然のきびしさ雄大さがわかりやすく書かれていた。ムースのシチューを食べながら「ムースの数が減った原因は本当にオオカミの数が増えたからなのか」と会話しているあたりは興味深かった。3月2日のオーロラ撮影時は最高潮。
会では深い話をたくさん聞き理解できない部分もあったが楽しかった。(KT)


 

『オーロラを求めて』を読んで

 『アラスカ光と風』星野道夫
 漠然とした北方への憧れが、アラスカというはっきりとした形として現れ、アラスカ北極圏にある小さなエスキモーの村の空撮写真この村を訪ねてみたいと思った。1971年19才思いがかないアラスカのシシユマレフ村に着いた。アラスカ大学の学生になる。
 1978年アラスカに住みシシユマレフ村を訪れる。50年のエスキモー社会の変貌には目まぐるしいものがある。彼らにっとって選択の余地がないほどの速さで新しい価値観に取り囲まれていった。貨幣、経済、開発・テレビの普及、学校…。そのうち最も大きなものに言語の問題がある。アメリカ合衆国の原住民政策の一環として強いられた結果である。言語はその民族の文化の住にもなるのだ。日本語がいちか消え去ってしまうなど、だれが想像できるだろうか。自然はいつまでも優しくない。結果の分かれ目というのはまわりの状況以上に、ぎりぎりのところでの気持ちの持ち方次第で決まってしまうのではないだろうか。ブッケンインディアンが抱えているさまざまな問題を話し合った。油田開発がもたらすであろうカリブへの影響それにともなう猟銃生活の存続への不安、消えてゆことする言語、古い価値観の喪失、自殺、若者たちの未来…。それは新しい時代とのはざまであらすか先住民全体が直面している問題でもある。旅をしなければ見えないもの、そこに根をおろして暮らさなければ見えないもの、その両方の風景の中に身を置く、自然と人間との関係。それが自分が写真を撮りつづけてゆくテーマです。1996年没とあり若くして亡くなっていますね。命を燃え尽きさせたのでしょうか。 (M子)


 星野さんの写真集をみて動物の親子のシーンが多くしかもその親子のしぐさのタイミングのよさには思わずほほえんでしまいました。
 自然のきびしさ、とりわけ氷点下−40℃の中で、星野さんや動物が生きていく知恵や本能に感心させられます。動物や自然の中で共存してく星野さんの謙虚な姿勢を感じます。
 ジャズをきいて氷をとかしてコーヒーをのむひとときを大切にしていらっしゃいました。
 自分がなぜこういうことに挑戦しているのか自問をしていましたが、自発的に行動し、やり遂げようとすることが人間を成長させ成功するものだとつくづく感じました。
 熊を大切にしていたのに熊に殺されてしまった星野さん。銃ももたないというモットーをつらぬいていました。信念をやりとげる生き方に感心しました。そして動物や現地の人々の目線で感じる星野さんに優しさを感じます。 (TK)


 課題本は星野道夫の『オーロラを求めて』。
 奇しくも今日27日は星野道夫の誕生日。生きていれば64歳、死後21年。今も多くの愛好者が彼の「生と死」を考え、死してなお燦然と輝いている。

◆オーロラに何を求め、オーロラの向こうに何を見ていたのか?
 P8「オーロラ。この不可思議な自然現象。北の空から現れ、 次第にその輝きを増し、まるで生き物のように天空を駆けめぐる冷たい炎。それはまず冬の到来を告げ、その輝きを次第に失いながら春の訪れを知らせてくれる。」初めはこの光を求めていたのだろうが、極北の冬のデナリ山をバックに撮影に挑み、 これまで見たこともない美しさに魅了され、激しい動きや強さに圧倒され、恐怖感に襲われる。彼がオーロラに求めていたのは、自然への畏敬であり自然の中で自分がいかに小さい存在であるかを確認したかったのではないだろうか。
 またオーロラの向こうに、自然の中で人間が奢りなく存在し、目に見えないものに対しても敬意を払い価値を置く世界を夢見ていたのではないだろうか。

◆違和感なく読者を引き込むのは
 卓越した文章力であると読書会で学んだ。感動を大げさでなく 淡々と、理解に悩む曖昧な言葉でなく、そこに生きている者として分かりやすい言葉を紡いでいる。

◆大義名分ではない「自然」。彼自身も、彼の死後の人々も考え続ける「人間と自然とのかかわり」とは
 彼は、自分も極北の動物たちも狩猟の民もみな“尊卑”の差なくいのちを育み、仲間と共に厳しい自然を生き抜き、尊厳を持った存在であると考える。この想いを彼は『ナヌークの贈り物』の中で「大地の一部」と著わす。
「われわれは、みな、大地の一部。おまえがいのちのために祈ったとき、おまえはナヌークになり、ナヌークは人間になる。
 いつの日か、わたしたちは、氷の世界で出会うだろう。そのとき、おまえがいのちを落としても、わたしがいのちを落としても、どちらでもいいのだ」
 彼の生き様に裏打ちされた「大地の一部」という言葉を胸に、私達は「人間と自然とのかかわり」を考え続けなければならない。急速に発達した現代科学や文明、これからも発達するであろう未来に向けて真剣に勇気を持って。人間は自然の征服者ではないのだから。それを教えてくれたのは星野道夫の著書たちであった。 (S)


紹介本一覧 (抜粋)

『星野道夫』
星野 直子/監修 平凡社 2016.09

『LOVE in Alaska  星のような物語』
星野 道夫/著 マガジンハウス 2012.03

『極北に生きる人びと』
星野 道夫/著  新日本出版社 2010.12

『めぐる季節の物語』
星野 道夫/著 新日本出版社 2010.10

『星野道夫永遠のまなざし』
小坂 洋右/著  大山 卓悠/著"山と渓谷社 2006.09

『 グリズリー  アラスカの王者』
星野 道夫/著 平凡社  2002.11

『Alaska 風のような物語』
星野 道夫/著  小学館  1991.07

『 アラスカたんけん記』
星野 道夫/文・写真 福音館書店 1990.02


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